幸せを「特別なもの」と思っていた頃
正直に言うと、僕は以前、「幸せ」というものを特別な出来事の中にしか見いだせないと思っていた。
たとえば結婚したとか、子供が生まれたとか、旅行に行けたとか。そういう“非日常”を味わったときにしか「幸せだな」と感じられなかった。
でも、そういう瞬間は何度もあるわけじゃない。だからこそ、普段は「幸せになりたい」と思いながらも、どこか満たされない気持ちを抱えていた。
失ってから気付いた、当たり前のありがたさ
そんな僕が「小さな幸せ」に目を向けられるようになったのは、体調を崩して休職したときだった。
仕事を離れ、社会とのつながりが途切れたように感じて、最初は焦りと不安しかなかった。
でも、しばらく経って少しずつ体が回復してくると、ある朝ふと思った。「普通に寝て、ご飯が食べられて、家族と談笑できるってすごく幸せなことなんだな」と。
それまで何気なく過ごしていた朝の光や、家族との会話、温かいご飯――全部がありがたく感じた。失ってみて初めて、当たり前の中にある幸せの大きさに気付いた。
小さな幸せに気付くことは「心の余白」から生まれる
小さな幸せを感じられるようになって思うのは、「心に余白があるかどうか」で感じ方がまるで違うということだ。
忙しすぎると、目の前のことに追われて、周りを見る余裕がなくなる。
以前の僕は、常に頭の中が「次のタスク」でいっぱいだったから、目の前の景色なんてほとんど記憶に残っていなかった。
でも、少し立ち止まって深呼吸をすると、不思議と見える世界が変わる。
通勤途中の道端の花や、帰り道の夕焼け、子どもの寝顔。そういう「何気ないもの」に気付けるようになると、心が穏やかになっていく。キザっぽい表現になってしまうけど、本当にそう感じた。
「幸せ」は探すものではなく、気付くもの
昔の僕は「どうすれば幸せになれるか」を考えていた。
でも今は、「どうすれば幸せに気付けるか」を意識している。
幸せは探して見つけるものではなく、実はすでに目の前にある。
それに気付けるかどうかは、自分の心の向け方次第だ。
たとえば、朝コーヒーを飲んで「今日も一日が始まる」と感じられたら、それだけでも十分幸せ。
「これができた」「今日も無事だった」そんな小さな積み重ねが、人生の幸福度を高めていく。
家族との時間がくれた気付き
僕が特に「小さな幸せ」を感じるようになったのは、子どもが生まれてからだ。
夜泣きで寝不足の日もあるし、思うように時間が取れないことも多いから、しんどいと感じることもある。
それでも、子どもが笑った瞬間や、妻と何気なく話している時間に「これが幸せなんだな」と思えるようになった。
特別なことをしなくても、誰かと笑い合える時間がある。それだけで十分だと心から感じている。
「幸せを感じる力」は練習できる
最初は「小さな幸せなんて、どうやって気付くの?」と思っていたけれど、意識すれば少しずつできるようになる。
たとえば僕は、毎晩寝る前に「今日あった良かったことを3つ思い出す」ことを習慣にしている。
「ご飯が美味しかった」「天気が良かった」「子どもが笑ってくれた」――そんな些細なことでいい。
続けていると、自然と日中も「これ、今日の3つに入れよう」と思えるようになり、幸せを探す癖がつく。
つまり、「幸せに気付ける力」は誰にでも鍛えられるのだと思う。
幸せの基準は人と比べなくていい
僕は以前、SNSで人の投稿を見て「みんな幸せそうだな」と落ち込むことがよくあった。
でも、今は思う。「幸せの基準は人それぞれでいい」と。
他人の幸せを基準にしてしまうと、自分の幸せを見失う。
誰かの成功や華やかな生活を羨むより、自分の中の「心地よさ」を大事にした方がずっと満たされる。
他人と比べないことで、ようやく自分の幸せに気付けるようになった。
まとめ:小さな幸せを感じられる人が、本当に幸せな人
「小さな幸せに気付ける力」は、生きるうえで最も大切な力の一つだと思う。
どんなに忙しくても、どんなに辛い時期でも、「今ここにある幸せ」に気付ければ、心は折れない。
未来の不安や過去の後悔にとらわれるより、今日の小さな幸せを感じながら生きたい。
それが、僕がこれからも大切にしたい生き方だ。
楽にいきましょう。

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