出産祝いを受け取ったときの驚き
子供が生まれたとき、親や叔父、友達、職場の先輩・同期・後輩から出産祝いをいただいた。これは想像できる範囲のことだったので、驚きはなかった。
しかし、意外なところからもお祝いをいただいた。例えば母の友達や、叔父の奥さんの兄弟など、ほとんど面識のない人たちからだ。話したことも数回あるかないかという関係で、正直そこまで深いつながりがあるとは思っていなかった。だからこそ、心のこもったお祝いを受け取ったときには、本当に温かい気持ちになった。
少子化時代だからこそ感じる温かさ
なぜここまで幅広い人からお祝いをいただけるのか。考えてみると、少子化という時代背景もあるのかもしれない。身近に子供が生まれる出来事自体が少なくなり、「新しい命の誕生」がより貴重に感じられるのだろう。
そう思うと、社会全体で子供を歓迎し、大切に思う空気があることに気づく。子供の誕生は個人や家庭の出来事であると同時に、社会全体にとっての希望でもある。そんなふうに感じられる世の中は、まだまだ温かいと実感した。
母の友達から届いた手紙
特に印象に残ったのは、母の友達からいただいたお祝いに同封されていた手紙だった。その方は母と同じく母子家庭で、二人の子供を育てた人だった。そして、そのうち一人は生まれながらに障害を持っていたという。
仮に両親が揃っていても子供二人を育てるのは大変だろう。それを一人で、しかも障害のある子供を育て上げたのだから、本当に尊敬しかない。その手紙には「結婚して孫を見せて、親孝行しているね」と書かれていた。
親孝行の形に気づかされた
正直なところ、僕自身は「子供を見せることが親孝行」だとは考えたことがなかった。なぜなら、子供を産み育てているのは僕自身ではあるけれど、孫の存在そのものは子供の力であって、自分が何かをしてあげた感覚が薄かったからだ。
でも、その人の言葉を読んで、「なるほど、そういう捉え方もあるのか」と思わされた。自分の子供が生まれたことで母が笑顔になり、その姿を周りが「親孝行」と表現してくれる。そう言われたこと自体が嬉しく、改めて子供に「生まれてきてくれてありがとう」と伝えたい気持ちになった。
健康で生まれることの奇跡
手紙を読んで強く感じたのは、子供が五体満足で生まれてきたことのありがたさだ。当たり前のことだと思いがちだが、決して当たり前ではない。
子供を授かれること自体が奇跡であり、さらに健康に生まれてくるのは大きな幸せだ。そのことを噛み締めながら日々を過ごすべきだと思った。
将来、自分が贈る側になったら
もし僕の親しい友達の子供が結婚し、さらに子供ができたとしたら、僕も同じようにお祝いをしたいと思う。そのときにはただお金や品物を渡すのではなく、自分の子育ての経験や思いを手紙に書いて添えたい。
今回いただいた手紙のように、単なる「モノ」以上の温かさを伝えられるお祝いを渡したい。それが次の世代へとつながるメッセージになるはずだからだ。
まとめ|お祝いから見えたつながり
出産祝いを通して感じたのは、人とのつながりのありがたさだ。予期せぬ人からの贈り物や言葉は、金額以上の温かさを持っている。そして「孫を見せることも親孝行」という視点に触れたことで、改めて自分の子供の存在の大きさを実感した。
人生における「幸せ」や「親孝行」の形は人それぞれだが、共通しているのは「人とのつながりの中で幸せは育まれる」ということだと思う。これからも感謝の気持ちを忘れず、子供とともに日々を大切に過ごしていきたい。
あとがき
今回は「楽に生きたい」というテーマとは少し違うかもしれないが、不意に思い出したので備忘録も兼ねて書くことにした。自分も「他人に温かみを与えられる人」になりたいと思う。また、注意や助言ではなく、経験が語られていたことに心を惹かれた。そして、大変な思いをしてきたのだろうけれど、文章からは「きっとこの人は幸せなのだろう」と感じられた。そのことも強く印象に残った理由の一つである。


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