幸せとは何かを考える

心のこと

幸せを考えるきっかけ

「幸せって何だろう?」と自分に問いかける瞬間は、誰にでもあると思う。僕の場合は、大きなプロジェクトに関する仕事で疲れ切って帰宅した夜、ふと「これが本当に自分の望んだ生活なのか」と立ち止まったのがきっかけだった。
収入は安定しているし、表面上は順調に見える。けれど、心の中では充実感よりも虚しさの方が勝っていた。そこから「幸せの定義」を自分なりに考えるようになった。

幸せはお金で買えるのか

多くの人が一度は「お金があれば幸せになれる」と考えるだろう。実際、生活が苦しい時期にはお金が足りないことが大きな不安要因になる。僕も母子家庭で育ったため、お金の心配は常につきまとっていた。だからこそ、ある程度の収入を得たときには安心感を覚えた。
だが同時に、一定額を超えると幸せの実感は薄れていった。お金は「不幸を減らす手段」にはなるが、「幸せそのもの」ではないと気づいた。(そうはいっても、あればあるだけ安心できるのも事実だと思う。)

人間関係が幸せに与える影響

お金以上に、幸せを左右するのは人間関係だと感じている。過去に仕事ばかりに打ち込み、友人や家族との時間を削ったことがある。そのときの僕は収入はあったが、孤独感が強く、精神的にかなりきつかった。
逆に、仲の良い友人と何気ない会話をしたり、家族と食卓を囲んだりする時間には、何ものにも代えがたい安心感と幸福感があった。幸せとは「誰と生きるか」で大きく変わるのだと実感している。

比較から生まれる不幸

幸せを考えるとき、つい他人と比べてしまう。同期が出世したり、同年代が結婚して家庭を築いていたりすると、自分は劣っているのではないかと焦ったこともある。僕も「負けている」と思い悩んだ時期があった。
しかし冷静に考えると、人生はマラソンのようなもので、スタート地点も走るペースも人それぞれだ。比べれば不幸を感じやすい。逆に、他人ではなく「昨日の自分」と比べるように意識すると、小さな進歩に幸せを見出せるのではないか。

幸せは小さな瞬間に宿る

幸せというと「大きな成功」や「夢の実現」をイメージしがちだが、実際には日常の小さな出来事に宿っていると思う。例えば、朝のコーヒーを飲むひとときや、風呂上がりに布団に入る瞬間。
僕にとっては、休日に妻と子供と買い物に出かけたり、友達と遊んだりする時間がそうだ。大きな目標を追うことも大切だが、それ以上に「小さな幸せを見逃さない感覚」を持つことが、生きやすさにつながるのだと感じている。

幸せは変化していくもの

幸せの定義は一生固定されるものではない。学生時代は「テストで良い点を取ること」が幸せだったし、社会人になった当初は「安定した収入」が一番の幸せだった。
今は「母を支えつつ、自分も妻も子供も無理なく暮らすこと」が僕にとっての幸せだ。年齢や環境によって価値観は変わる。だからこそ「今の自分にとっての幸せ」を定期的に見直すことが必要だと感じる。

幸せのために手放す勇気

幸せを追い求めるうえで重要なのは「手放すこと」だと思う。僕は以前、完璧主義にとらわれていて、「仕事も家庭も人間関係もすべてうまくやらなければ」と自分を縛っていた。
しかし、それを少しずつ手放したときに心が軽くなり、日々の小さな出来事を楽しめるようになった。幸せは「得ること」だけではなく「不要なものを捨てること」からも生まれる。

まとめ:幸せとは自分が決めるもの

結局のところ、幸せとは「自分がどう感じるか」に尽きる。他人から見て羨ましい状況でも、自分が満たされていなければ幸せではない。逆に、外から見れば平凡でも、自分が納得していれば幸せなのだ。
僕にとっての幸せは、母を支えながら、自分や妻、子供の生活も大切にすること。そして、日々の小さな喜びを見つけ続けること。幸せの形は人の数だけあり、正解は一つではない。だからこそ「自分にとっての幸せ」を丁寧に考え続けたいと思う。

楽にいきましょう。

あとがき

ここで綴ったのはあくまで「自分にとっての幸せ」であって、家族がどう思っているかは分からない。ただ、一緒にいるのだから価値観の方向性は大きく外れてはいないはずだ。もしまったく違う方向を向いていたら、家族として共に生きることは難しいだろう。
子供が成長し、僕とは違う価値観を持ったとしても、それを尊重してあげたい。ただ、願わくば僕の考えを頭ごなしに否定するのではなく、受け止めたうえで自分の道を歩んでほしいと思う。

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