努力は本当に報われるのか
「努力は報われる」とテレビや漫画など、さまざまな場面で言われてきた。しかし大人になってみると、その言葉がすべて真実ではないことに気づく。努力しても評価されないことはあるし、頑張った分だけ結果が返ってくるとは限らない。むしろ、報われない努力にぶつかる場面の方が多いのではないかと思うことさえある。
僕自身も、仕事で必死に取り組んだプロジェクトが思うように評価されなかったり、周囲に流されて努力を続けた結果、自分をすり減らすだけに終わったことがある。努力が無駄だったとは思いたくないが、「努力すれば必ず報われる」という言葉は現実を単純化しすぎていると感じている。
報われない努力を経験したときの気持ち
報われない努力を経験すると、自分の存在そのものを否定されたような気持ちになる。頑張った時間や労力が無意味に感じられ、「自分は何をやってもダメなのでは」と落ち込むのだ。
学生時代なら、部活の練習に明け暮れても求める成果に届かなかったことがあるだろう。社会人になってからも同じだ。僕も、上司から任された大きな案件に全力を注ぎ、休日出勤も厭わず、細部にこだわって仕上げたのに、結果は「求めているものと違う」という一言で片付けられたことがある。自分の努力が認められない虚しさは忘れられないし、その経験が「努力は必ずしも報われない」という現実を受け入れるきっかけになったのだと思う。
努力が報われない理由
では、なぜ努力は報われないことがあるのか。その理由はいくつか考えられる。
- 努力の方向が間違っている
正しい方法で取り組まなければ、どれだけ時間をかけても成果につながらない。 - 評価する人の基準が違う
自分が価値を感じる部分と、他人が重視する部分は必ずしも一致しない。 - 運やタイミングの影響
努力以外の要素、たとえば運や人間関係、時代の流れに左右されることもある。 - 周囲に利用される
真面目に頑張る人ほど「任せやすい」と思われ、損な役回りを押しつけられることもある。
僕自身も「努力の方向がずれていた」経験がある。完璧に仕上げることにこだわりすぎて、上司が求めていたスピード感を見失ったのだ。努力していたこと自体は事実だが、その努力は相手にとって価値を持たなかった。
努力が報われる場面も確かにある
とはいえ、努力がまったく意味を持たないわけではない。長期的に見れば、積み重ねが自分の力になることもある。
僕は文章を書くのが苦手だったが、日記のようなものを書き続けるうちに、少しずつ表現力が上がったと感じている。すぐに成果は出なくても、後から「あのとき続けてよかった」と思える瞬間は確かにある。
努力の成果が形になるのは「誰かに認められたとき」ではなく、「自分の中で成長を感じられたとき」なのだと思う。外部の評価ばかりを基準にしていると報われないことも多いが、自分自身の基準で見れば、努力は意外と報われているのかもしれない。
努力を報われやすくする工夫
努力を無駄にしないためには、いくつかの工夫が必要だと感じている。
- 目的をはっきりさせる
何のために努力しているのかを意識する。目的が曖昧だと方向を誤りやすい。 - 小さな成果を積み重ねる
大きなゴールだけを見ると心が折れやすい。日々の小さな達成感を大切にする。 - 信頼できる人に相談する
自分一人では方向がずれていることに気づけない。フィードバックは軌道修正の助けになる。 - やめる勇気を持つ
努力を続けること自体が目的化すると消耗する。見切りをつけるのも立派な選択である。
僕は特に「やめる勇気」が重要だと思う。以前は「途中でやめるなんて根性がない」と自分を責めていたが、今では「合わない努力を手放すことで、本当に大事なことに力を注げる」と考えるようになった。
努力の価値を決めるのは自分
結局のところ、努力が報われるかどうかを決めるのは他人ではなく自分だと思う。他人に評価されなくても、自分が納得できるかどうかが大切だ。
僕が「努力は必ずしも報われない」と思いつつも努力を続けるのは、その過程で自分なりの意味を見出せるからだ。たとえ周囲からの評価がゼロでも、「少しは成長できた」と思えるだけで救われる。こうしてブログを始めただけでも、これがいつか自分の財産になればと考えながら書いている。
社会には「努力は必ず報われる」という言葉が根強く残っているが、それに縛られる必要はない。報われない努力に苦しんだ経験を持つ人ほど、自分なりの基準で努力を捉え直すことができるはずだ。
まとめ|努力は必ずしも報われないが無駄ではない
努力は必ずしも報われない。方向がずれたり、運や評価者の基準に左右されたりするからだ。けれど、努力が無駄になるわけではない。自分の成長や経験として残り、後から思わぬ形で役立つこともある。
大切なのは「誰かに評価されるため」ではなく、「自分が納得できるかどうか」という視点で努力を見つめることだろう。努力は報われなくても、意味を失うことはないのだから。
楽にいきましょう。
あとがき
僕自身も「努力の方向がずれていた」経験がある。完璧に仕上げることにこだわりすぎ、上司が求めていたスピード感を見失った。努力していたこと自体は事実だが、その努力は相手にとって価値を持たなかったのだ。これは上司の価値観によっても変わってくるため、よく言われる「配属ガチャ」「上司ガチャ」という言葉の意味を身に染みて感じた。
ちなみに僕は、配属ガチャ・上司ガチャ両方に運がなかった人間だと思っている。会社に入ってからは忙しい部署しか経験していないし、上司はパワハラ一歩手前の言動をする人や、人間性に欠けたサイコパスのような人が多かった。ただ、会社自体はブラックではないので、なんとか今も勤務し続けている。
慣れというのもあるが、割り切った思いで仕事に取り組むことや、社会人としての自分なりの軸を持つことができれば、いろいろと悩むことがあっても続けていけるのだと思う。


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