会社では負け?でも人生では負けじゃない

生きづらさ

上司からの問いかけに感じた違和感

あるとき上司から「同期はどんどん出世しているのに、お前は悔しくないのか?」と聞かれたことがある。僕の答えはシンプルだった。「悔しくない。そもそも興味がない」。
正直に言えば、全くゼロではない。多少の見栄や承認欲求が顔を出すことはある。けれど、出世にそこまで価値を感じていないのだ。管理職になれば労働時間は増え、責任も増すのに、給料はそれほど上がらない。いわゆる「コスパ」が悪い。だから「負けた」と感じるよりも、「興味がないから仕方ない」と割り切っている。

会社の中では負けでも、人生全体ではどうか

確かに会社という枠の中では、僕は「負け組」に見えるのかもしれない。同期が管理職になり、部下を率いる立場に立つ一方で、僕は役職のないまま。肩書きで比較すれば明らかに劣っている。
でも、そもそも人生は会社の中だけで決まるものではない。僕にとって「勝ち負け」を決める舞台は、もっと広い「人生全体」だ。自分がどんな家庭環境を持ち、どんな人間関係に支えられて生きてきたのか。そうした背景を無視して、会社での出世だけを勝敗の基準にするのは、あまりに視野が狭いのではないかと思う。

人生の出発点から差がある

そもそも、人は同じスタートラインに立っているわけではない。
両親が揃っていて、兄弟やいとこがいる。経済的に余裕がある家庭で育つ。そうした「土台」を持っている人は、人生の始まりからすでに大きなアドバンテージを持っている。
一方で、僕は母子家庭に生まれ、兄弟もいなければいとこもいない。親戚付き合いというものがほぼなく、家族という基盤が極端に小さい。そういう環境で生きてきた僕にとって、「会社での出世競争」だけを切り取って比べられるのは、どこか不公平に感じてしまう。

二つの家庭を守るという現実

アラフォーにもなれば、多くの人は「自分の家庭」を守ることに集中しているだろう。両親が健在で、特に大きな介護や支援が必要ない家庭なら、自分の妻や子どもさえ見ていれば済む。
しかし僕の場合は違う。一人暮らしをしている母のフォローもしなければならない。僕にとっては「自分の家庭」だけでなく、「母の生活」も守る責任がある。つまり二つの家庭を同時に支えているのだ。
もちろん、それを誰かに誇りたいわけではない。ただ、そうした現実がある以上、僕は単純に「同期より出世していないから負け」とは思わない。むしろ、家族のために背負っているものの重さを考えれば、会社の肩書きがすべてではないことを実感している。

人生の勝ち負けは自分が決める

世の中には「出世してナンボ」「年収が高い人が勝ち」という風潮がある。けれど、誰もが同じ土俵で戦っているわけではないし、価値観も違う。僕にとっては「母と自分の生活を守ること」が何よりの責任であり、達成感でもある。
だから、たとえ出世に興味がない僕を見て上司が「悔しくないのか」と思ったとしても、僕の答えは変わらない。「悔しくない。僕には僕の戦いがあるから」と。
人生の勝ち負けを決めるのは、会社の人事ではなく自分自身なのだと思う。

まとめ|出世よりも大切なこと

出世に興味がないと答えると、「向上心がない」と思われるかもしれない。でも、人生は会社だけで決まらない。家庭環境や背負っている責任、人生の土台は人それぞれ違う。
僕にとっては、母と自分の家庭を支えることが最優先であり、それを果たしている限り「負けている」とは思わない。
結局のところ、何をもって「勝ち」とするかは自分で決めればいい。僕は会社の肩書きではなく、自分の大切な人を守れることに価値を置いている。だからこれからも、出世にこだわらず、自分なりの人生を歩んでいこうと思う。

楽にいきましょう。

あとがき

上司は会社での部下の姿しか見ていないのだから、評価の基準も「会社での価値」にならざるを得ない。プライベートでの事情をいくら話しても、無駄とは言わないが、それが直接評価に反映されることはない。なぜなら、彼らにとって会社を回すことが最優先だからだ。話を聞いてはくれるが、結局は「それでも頑張れ」といった言葉に収束するのが常だ。いかに部下を納得させ、働かせるかも上司の役割の一つであり、本当に部下の人生を考えてくれる上司はごく稀なのだろうと思う。

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